弱冠二十歳
2008年 10月 22日
家づくりの会の山本さんの計らいで銅御殿(あかがねごてん)を見学する機会をいただいた。いまから90年以上も前、当時弱冠二十歳の大工、北見米造に予算と工期に制限なしで家作りを依頼した建て主(山林王、磯野敬)がいた。
材料の選別も含め、7年の歳月を費やしたという。建て主と若い棟梁の情熱、名工たちの技があちこちにちりばめられていた。メインの居間は北向きに窓が大きく開かれ、豊かな緑は深い水平のひさしにトリミングされ、光を浴びてなんとも言えずいい感じだった。この窓の配置は南を向いた花を見るためのものだったという。
それにしても、20歳の青年がこの家の設計・施工に立ち向かったのは驚きです。
建て主も北見も、いったいどんな目をしていたのだろう?当時の、建設中の彼らに会うことができたら、僕はその目に対峙することができるだろうか・・・・・ふとそんなことを思った。
京都や奈良の建築も相当研究したと思われ、でも既成の概念にとらわれることなく、とにかくやりたいことを懸命にやりつくしたという印象です、エネルギーと技が家中にはじけていた。その思いは海のように深く、理想は空の遥かかなたまで見ていたに違いない。
材料の選別も含め、7年の歳月を費やしたという。建て主と若い棟梁の情熱、名工たちの技があちこちにちりばめられていた。メインの居間は北向きに窓が大きく開かれ、豊かな緑は深い水平のひさしにトリミングされ、光を浴びてなんとも言えずいい感じだった。この窓の配置は南を向いた花を見るためのものだったという。
それにしても、20歳の青年がこの家の設計・施工に立ち向かったのは驚きです。
建て主も北見も、いったいどんな目をしていたのだろう?当時の、建設中の彼らに会うことができたら、僕はその目に対峙することができるだろうか・・・・・ふとそんなことを思った。
京都や奈良の建築も相当研究したと思われ、でも既成の概念にとらわれることなく、とにかくやりたいことを懸命にやりつくしたという印象です、エネルギーと技が家中にはじけていた。その思いは海のように深く、理想は空の遥かかなたまで見ていたに違いない。
by u-kuukan
| 2008-10-22 18:05
| 建築