宝積寺駅前
2010年 05月 31日
先週、事務所スタッフ皆で宝積寺駅とちょっ蔵広場(隈研吾設計)を見てきた。
僕が高校のときは隣町の氏家から宇都宮まで電車で通っていて、毎日毎日車窓から眺めていた東北本線の寂れた小さな駅だった。
駅の東側は古い2、3棟の大谷石の蔵があって、鉄道の赤錆と風化した大谷石の表面に赤茶色のミソと呼ばれる指でも掘れるような部分とが、点描画で言えば同じトーンで同じタッチで描けそうな空気感があり、妙に馴染んでいたのを覚えている。この駅から烏山線という車両1、2両のローカル線があり当時は「烏山線廃止絶対反対!!」といった趣旨の看板が、その駅のトーンにアクセントをつけていた。
その駅前の風景が、点描画のような粒子を生かしながらも、大きく変化していた。
烏山線は無事生き残り、車両のデザインも変わっていた。駅舎もローコストの素材をうまく使いながらも栃木の駅とは思えないほどスマートに生まれ変わり、駅前は蔵の再生と再利用した大谷石で作った新たな建築により、力を失くしつつあった「場所」に新たに息吹を与えているように見えた。
僕が高校のときは隣町の氏家から宇都宮まで電車で通っていて、毎日毎日車窓から眺めていた東北本線の寂れた小さな駅だった。
駅の東側は古い2、3棟の大谷石の蔵があって、鉄道の赤錆と風化した大谷石の表面に赤茶色のミソと呼ばれる指でも掘れるような部分とが、点描画で言えば同じトーンで同じタッチで描けそうな空気感があり、妙に馴染んでいたのを覚えている。この駅から烏山線という車両1、2両のローカル線があり当時は「烏山線廃止絶対反対!!」といった趣旨の看板が、その駅のトーンにアクセントをつけていた。
その駅前の風景が、点描画のような粒子を生かしながらも、大きく変化していた。
烏山線は無事生き残り、車両のデザインも変わっていた。駅舎もローコストの素材をうまく使いながらも栃木の駅とは思えないほどスマートに生まれ変わり、駅前は蔵の再生と再利用した大谷石で作った新たな建築により、力を失くしつつあった「場所」に新たに息吹を与えているように見えた。
by u-kuukan
| 2010-05-31 19:20
| 建築